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「今・居て良いスペース」を手にいれる幸せ、という話

なぞの思考回路

私は旅がすきなのです。

 

仕事があるので長期間というのは学生のときに比べて難しいですが、なんとか1〜2週間ほどの休みを年に2回ほど確保して旅に出ています。

最近はタイへ行ってきました。

でも今日はタイの話を書きません。

 

旅をしているときに強く感じられる、幸せというか安堵感というか人生感というか…とある気持ちについての話です。

もちろん素晴らしい景色とか美味しい・珍しい食事、現地の人々との交流なんかも最高ですし、たくさん時間がたってもいきいきと人に話せるのってそういうトピックなんやと思います。

だから、そういうのは後ほど書こう。
今日は、旅の最中や直後はめっちゃ考えてるんやけど、時間がたつと忘れちゃう類のことについて書こうと思います。

「今・居て良いスペース」を確保できたときの幸せがすごいんです。

 

あ〜生きているなあ、と感じられる系の幸せです。

 

まず、わかりやすい状況を書いてみる。

  • 飲食店に入ってテーブルに案内されて、腰をおろして荷物を置いた瞬間
  • 宿に入ったり友達の家にお邪魔してベッドをあてがわれ、布団にくるまった瞬間
  • 長距離バスや列車のチケットを買い、無事に間に合ったし何とか自分の席もみつけた瞬間

こういう時こういう時!!

なんていうか、「ああ、これだ」と思うんです。

 

居場所があることのありがたさ、と書くと何だかすごくフツーな感じになっちゃうんですけど。逆に言えば、居場所がないツラさ・開放感が旅の大部分にあります。
これが旅疲れの原因として大きいとも思う。

 

たとえば観光客として歓迎されたりおもてなしされたりするのは、「今・居て良いスペース」があるってこととは違います。
「ぜひ居て欲しい」っていうのは大変嬉しいことですが、居場所とは違うのです。ちょっと語弊があるかもしれませんが、営業時間内の動物園でみんなに見られるパンダと方向性は一緒。
檻はなくとも、好奇の目線で愛でられるのは同じです。つまり、その場所に居ることが周囲にとっては面白いんであり、「居て良い」とは全く違うと思うのです。

今自分がいる場所が、たとえ半径50センチだとしても、一時的にだとしても、「自分のもの」だという感覚が居場所やないかな。

もちろんその逆に嫌われているとか迷惑そうにされるとかだと居場所どころじゃないし、無視されていてもやっぱり居場所はありません。
「居てほしくない」わけですから。

私、今生きてる!ってやつが感じられる時

 

そして、この「居て良い」場所に今居られているんだという感覚は、人間として生きていくために必ず必要なものだと思います。

そして、「これは生きるために必要不可欠なことや」と実感する時に、「私、今生きてる!」ってやつが感じられるんですよね。

上にも書きましたが、「ぜひ居てほしい」と言ってもらえる場所があるのは、それはそれでありがたいことです。
でも私が「ああ、これだ」=「この場所は今、自分のものだ」と思うのとは異なっています。そう言ってくれている人がいるということは、そこはその人の場所なのです。

所有権の問題とは違います。もちろん。

日本にいると多くの人にとって何となく当たり前じゃないですか、自分の居場所って。
まず自分の家にいれば常に「居ても良い」わけです。気を張らない。


それがたとえ賃貸マンションで、本当は他の人のものだとしても、「今・居て良いスペース」だとちゃんと感じることができれば、そこは自分の居場所なんですよね。

結論:だから旅が好き。

 

私は「今この時に、私が居ても良い場所」というのは勝ち取るものなのかもしれないと考えてます。

旅先でだけでなく、自分の家も含めて、全ての「居ても良い場所」は、自分に権利があるということですし、時に義務でもありますよね。オフィスの自分の席、とか学校の自分の机、とか。


これは、自分自身が勝ち取っていくものだと思うのです。何で勝ち取るかは場所や期間や広さによるのだと思いますが、「実家」なら生まれるという偉業を成し遂げ勝ち取ったと言えるし、「賃貸マンション」は社会的信用とお金で勝ち取る。

 

旅に出ると生々しく感じるのですが、「ぜひ居て」というのは意外と得やすくて、世界はその程度には優しいです。たぶん。
でも「居ても良い」場所を勝ち取るのって本当にたいしたことです。それは物珍しさや施しを貰える幸運だけでは無理なものだからです。

 

例えば「自分の家」を勝ち取るために、どれだけの戦いをすれば良いか。
日本にいたらあまり意識しないけど、本当にたいしたことだと思うんですよ。

家など物理的に目に見えていて、方法もわかっていればまだ戦える(勝ち目もある)気がしますが、もっと概念的な居場所になったらどうでしょうか。

 

「友達の家で一晩のベッド」は、概念的な居場所、に近いです。
友情というのはまさしく物珍しさでも施しでもない「居ても良い」ですよね。
これは恋人とか他の人間関係もそうだし、大きな枠では「国籍」とかも

日本で過ごしていたら「居ても良い」のありがたみ、「居ても良い」を勝ち取った楽しさ・達成感とかって本当に忘れちゃうんです。
そもそも日本って「居ても良い」空気が具現化したような国やと思いますし。

 

が、旅に出るとそれを思い出せるし、居場所を勝ち取ったという楽しさ・達成感を毎日味わうこともできます。飲食店で席を確保するだけでも実感できるので。
私はその感覚が結構好きなんです。

もしかしたら、自分が生きてきた・生きていくことそのものが「居ても良い」になっていき、そんな場所が増えていくのが大人になるということかもしれない、と考えてみたり。

 

そんなことをつらつらと考えられる、という面が旅にはあり、そんなところがとっても良いなあと思うのです。