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HIVEが10/15に終了。個人写真データの保管をやめようと決めた話

WEBサービス 決めた話

オンラインストレージサービスの「HIVE」が2015年10月15日にサービスを終了するそうです。

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— HIVE SHUTDOWN NOTICE

 

結構前に、無料で使える容量がバカでかいと知人に教えてもらい、大量の個人写真データをHIVEへ入れていたんです。

ここでいう「個人写真のデータ」というのは、作品としての写真ではなくて、記念写真とか日常的にたまっていく写真のことです。何気なく撮った食べ物の写真とかピースしてる類のやつ。誰かにあげたりSNSに上げたりもしていないやつら。けっこうたまってました。

ところが今年の夏にHIVEが突然有料化しまして。
1ヶ月3ドルだったので、とりあえず容量無制限だし…。と思ってプレミアムユーザーに変更したものの、(私が知る限り)予告なしに機能が削除されたりとかしていて、何だかなー。とは思っていたんです。

しばらくログインしていない人はまずそのタイミングで1ヶ月アクセスがないと自動的に削除されているはずです。恐ろしいですね、クラウドストレージって。やっぱり「みんな使っている」やつをおとなしく使うのが無難なんでしょう。

それで、とりあえず何年分もの大量データをどこへ移動させようか…。と考えていたんですが、そもそも個人写真データをクラウドストレージに入れておくという選択が間違っているのかも、という気がしてきました。

写真ってとっておく必要ある?

 

身も蓋もない話になっちゃうんですが、個人写真のデータってとっておく必要がないのかもしれません。

 

私は数年前から自分に帰属する荷物に関しては「なるべく所有しない」と決めていまして、その時期に必要なモノ以外は捨てる習慣を心がけています。まだ実家のストレージも一部利用しているし、デスクのキャビネットに詰まってる古い書類が整理できていなかったりするので、主義が徹底できているとは言えないけど。

「なるべく」のレベル感としては「今自分が死んだとして、遺品処理が半日あれば楽に終わる」程度は目指したいなーと思ってます。死ぬ予定があるわけじゃないです、念のため。

今回のHIVE終了時にあれこれ思いを巡らせていて気付いたのが、「なるべく所有しない」から漏れていたのが、写真のデータやなと。これまで、データはモノじゃないからオンラインのどっかにいれておけば身軽やし、とっておいたからってめっちゃ使うわけじゃないけど、入れる手間以外にデメリットもないしとっておいて損はない、と考えていたんですが、こういうことがあり得るわけで。

データどこへ移動しよう、と考える思考コストも無駄やし、実際に移動させる手間も、整理する時間も無駄です。

逆にとっておくメリットって何でしょう。

まず「後で見返して思い出に浸る」のは楽しい作業ですね。私もたまに見返して楽しむことがあります。あと「これから出会った人に自分の過去を見せて面白がってもらう」とかも愉快。または実現するかはさておき「結婚式など、節目で過去の思い出を紹介するために使用する」などの可能性も一応ある。

でも、それらに数量はいらないですよね。数枚でいい。撮った写真を現像するという習慣は絶えて久しいですが、FacebookとかTwitterinstagramなんかもやってるので、よっぽど楽しかった時のことはそっちで大体残ってるし、自分のになければ人のを見ればいいんだ!

私はSNSに写真をアップロードするのも人としての創作活動の一種やと思ってます。特に加工したわけじゃなくとも、コメントつけたりとかですね、それさえなくても選んだりあげたりっていうだけで何かを創っていると思うんです。第三者が見て価値を感じるかといえば感じないやろうけど、それはまた別の話。

そういった「創作活動」をできるのも一次的な個人写真をとっておくメリットと言えますが、長期間置いておく意味はない。

個人写真の保管はやめることにしました。

 

私の場合、クラウドストレージへ入れている個人写真というのは、上で書いた「創作」の材料に値するほどのものじゃない一次的写真の集合であって、調理していない生の状態であって、単にシャッターを押した記録でしかないんです。

なのにクラウドストレージサービスへ保管していたのはなぜかと考えてみると、上でも書いた「とっておいて損はない」という感情が主やと思います。タダやし。もしくは安いし。なんとなく「生」だから冷蔵庫へ入れておこう、という感覚。「もったいない」に近いと思われる。

「なるべく所有しない主義の最もやっかいな阻害要因はこの「もったいない」です。もったいないという言葉は場面によっては私も熱心に使いますが、何かを手放すか否か、という場面でこいつが出てくる時に含まれる意味は「これ以上いいものはもう手に入らないかもしれない」です。いや、必要なら手に入れていこうよ!

「もったいない」の危険性はわかっていたはずやけど、写真データに関しては質量がゼロやと思って油断していたために、思考停止していたんですね。

私が大賛成している、なるべく所有しないという考えの本質は、必要なものだけに囲まれて生活することで手に入るメリットを最大限に活かすということだと思ってます。逆にいうと、本当に大切なものだけを大事にできる環境を作るということ。もちろん基準は人によると思いますが、「所有する」のは、他の書いたり考えたり読んだり決めたり旅に出たり会ったりetc、自分が生きる上で欠かせない創作行動に絶対使うものだけでいい。それで「所有する」以外の創作行動に集中するのだ。と理解してます。

そう考えると、質量のありなしは関係ないですね。だからHIVEのサービス終了をきっかけに、私はやめることにしました。個人写真の生のデータを後生大事に保管しておくことはもうやめた!

面白いのが、そう決めたらしまいこんでいた一眼レフを出してくるほど写真にウキウキしてきました。

写真をめっちゃ撮りたくなりました。

 

写真をいっぱい撮ることになんとなく感じていた不安がなくなったからだと思います。「今回もいっぱい撮ったけどこれ、どこに保存しよう…」という。「そもそも容量大丈夫かな?」というのも毎回ちらっとかすめてたと思うんですよ。さらにいえば、「保管したあと忘れずにいつか見直して思い出に浸らなきゃ」という義務感もあったのかも。あほらしいです。

そういうのがきれいさっぱりなくなったので、写真を撮りたくなったんだと思います。あと、ちゃんと大事な写真を「選ぶ」など創作活動をする。後でそれらを見直して浸るのが楽しみです。